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2005年11月13日

お祈りについて

# この記事は、キリスト教の教会に行っている自分の日記です。
# 教会に行ったことのない方は、いろんな教会のホームページをブラウズされることをお勧めします。

コメント
情報化社会によって、祈りの課題も国際化・大容量化・リアルタイム化されています。
その情報から選りすぐった祈りの課題を全て祈ったときには
達成感を感じてしまうのかも知れません。※そんな長時間祈ったこと無いっす。orz
身近な人の生死に直面したとき、ひたすらに一つの事に祈りを捧げます。
祈り終わっても、達成感ではなくて、神様に頼る気持ちが残ります。
常にあのひたすらさを持って祈るべきなんですね。


2005/11/13の説教
説教箇所:ルカ22:41-46「祈り-罪人を救うため」
説教要旨:
祈りの姿勢
 当時の祈りの姿勢は立って両手を天に向けた。イエス様がこのときひれ伏して祈られたのは重荷の大きさを表しているのでは。
祈りの姿勢はいろいろあるが、大切なのは外面ではなく内面的なもの。
祈りの内容
イエス様の祈りは短く簡潔だったけれど、1時間かかっている。
現代の祈りは、祈りの課題の羅列になって祈り終えた時に「責任を果たした」という達成感が残ってしまい、心が伴わない。
祈りは儀式ではなく神様との交流である。これにより心の平安が得られる。
十字架にかかる為に地上に来られたイエス様はこの怒りの杯が避けられない事は一番分かっていた。
それなのに、「とりのけて下さい」と祈ったのは、死や痛み、罪の重さが嫌だったのではない。
罪のある人が赦されて、罪のないイエス様が十字架につくという不条理が耐えられなかったのではないか。
その死よりも耐えられない事柄についても、「御心の通りに」と仰った。

投稿者 akios : 2005年11月13日 23:37

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