2007年2月 4日

人生の最高顧問

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コメント:
結婚して相談する相手が嫁だけになると、ついつい二人で相談して物事を決めてしまいがちです。
常に神様に報告し相談して歩みを確かなものとしたいものです。

2007-02-04の説教
創世記16:5-16
「ご覧になる神」

説教要旨:
アブラムに神が約束された「地のちりのよう」な子孫は、80才前後となっても第一子すら与えられない状態だった。
サライ:人間的な考えで短絡的な行動を取ってしまった。
アブラム:サライの苦情に対して、「あなたの好きなようにしなさい」と自分の判断をしてしまった。
人間的な考えをするのではなく、神に相談をするべき。

「あなたの女主人のもとに返りなさい。」
主の元を離れた人に対して、主の元に帰るように仰っている。
神は常に私たちに語りかけていらっしゃる。
私たちは主に耳を傾けなければならない。

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2007年1月28日

誤った解釈

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コメント:
世界で一番読まれ、人生の規範とする人の多い聖書ですが、
読んでいる自分が、作り手に相談無く、世間と合わせた勝手な解釈をしないように気をつけないとですね。

2007-01-28の説教
創世記16:1-4
「目的も、手段も」

説教要旨:
ハドソンテーラー氏のミッション実践手法:
「神のご計画(目的)を聞き、目的を果たすために身を捧げる」
 ※自分主体ではなく、神に頼る。

サライがアブラムにハガルと子供を作るように提案したのは、
アブラム一族に対するサライの決意と責任感によるのだろう。

15:5「あなたの子孫」
アブラムは、サライとの間の子供と捉えたが、サライの提案によって、ハガルの子供でも
”あなたの子孫”に当てはまると神様の言葉に別の解釈をしてしまった。
サライの提案は神様の言葉を利用した神様に対する挑戦である。
神様の計画を知り、それに従うべきである。

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2007年1月21日

一方的で超有利な契約

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コメント:
聖書を読んでいると、当時の風習が分からなければ理解に困る記述がたまに出てきます。
説教はトリビアの宝庫です。

2007-01-21の説教
創世記15:7-21
「主は全てのよきものを」

説教要旨:
自分の欲望に対する信仰と神様に対する信仰を間違えてはいけない。
15:8 「私の所有である事をどのように知ることができましょう」
神様に対する疑いではなく、自分のこれまでの弱さを告白している。

動物を二つに切り裂く→当時の契約の印(契約違反の際は体を二つに切り裂かれた。

アブラムと神様との契約の時は、神様(煙)しか切り裂いた動物の間を通らなかった。
→アブラムは違反しても良い。
※イエス様の十字架もこのようなもの。

心からの礼拝、心からの捧げもの
→いずれも神様が用意してくださったもの。
私たちは最善のものを捧げるべきである。


用語:
煙:神様のシンボル
火:神様の怒りのシンボル
4代目:400年後

投稿者 akios : 15:40 | コメント (0) | トラックバック

2007年1月14日

今読むべき本

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コメント:
亡くなった人の意志を知ろうとするとき、遺書や遺言を大切にします。
神様は聖書を与えられ、大切にするように仰いましたが、聖書の記述にばかり目をとらわれるのではなく、
神様との交流を第一にするべきですね。

2007-01-14の説教
創世記15:1-6
「人が議と認められるとき」
説教要旨:
「不敬虔なものを義と認めてくださる方を信じる信仰」ローマ4:5
神様はこの信仰を義と認めてくださる。

解説
ダマスコのエリエゼル=遠い親戚or使用人の誰か
後継ぎ不在の状況は使用人が数百人いるアブラム一族には大変な問題だった。

聖書を読む
→神様との人格的な出会いが大切
 ※聖書信仰:神様との聖書を通した出会い、交わり
聖書の記述を信じるのではなく、神様を信じる事が大切。

投稿者 akios : 15:39 | コメント (0) | トラックバック

2007年1月 7日

10分の1献金

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コメント:
毎月の給料は自分が働いたお金という意識が働き、
神様に与えられたものという意識が薄れてしまいます。
十分の一が神様のものなのではなく、全てが神様のものという意識を持って
買い物に行くと、プリンを除いて無駄な買い物は絶対できません。

2007-01-07の説教
創世記14:14-24
「神にのみ栄光が」
説教要旨:
詩編110:4,ヘブル7:1-10 メルキゼデクを偉大な預言者として表現している・
「一番良いものの十分の一」アブラムがソドムの王に伝えた言葉。
→ソドムの王の所有物の権利放棄を求めている。

栄光を神に帰する→お返しする。
私たちは主の栄光を表す者となるべき。

用語:
シャレム:現在のエルサレム

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2006年12月31日

2006-12-31の説教

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コメント:
餅つきの疲れが...

2006-12-31の説教
詩編139:1-24
「全てを知っておられる方に」
説教要旨:
139:1 標題
139:2 すわる→活動していない状態
立つ→活動中
歩み→将来にわたる活動
伏す→非活動

主に知られている→恐れと安心

神様と1対1で向き合うことで祝福がもたらされる。

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2006年12月24日

お年玉をもらう資格

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コメント:
お年玉はなぜもらえるのか疑問に思ったことは無いですか?
起源を調べてみたところ、鏡餅を配っていた神社の風習が一般化して、
訪問時のお土産のうち、子供向けのものだけが「お年玉」と呼ばれたそうです。
で、何で働きもしないのにお金をもらえるのでしょうか?

2006-12-24の説教
第二コリント9:15
「言い尽くせないほどの賜物」
説教要旨:
イエス様の降誕:パウロ「言葉に表せないほどの賜物」
賜物とは、神様からもらう資格の無い人への贈り物

どうしたら神様からの賜物を受け取ることができるか。
1.神様が自分を愛しているという事を信じる。
2.もらう資格がない事を理解する。
3.神様が良い物をくださると信じる。

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2006年12月17日

喜怒哀楽→喜喜喜喜

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コメント:
浪人した自分は友達の大学合格を心から喜べない心の狭い人間でした。
自分が取り残される悲しさが、友達のことを喜ぶ気持ちを超えていたのだと思います。
ちっちぇ~、俺。

2006-12-17の説教
ヘブル10:5-7
「言い尽くせない喜び」
説教要旨:
パウロは「喜びなさい」と様々な手紙で伝えている。
喜べない状況を作る物、それは罪。
罪を解決されたクリスチャンはいつも喜んでいるべきである。
喜びは他者と共有するもの。
イエス様は、十字架にかかるにあたり、神の喜びを共有して、喜んでいた。

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2006年12月10日

マナーとモラルとソドムとゴモラ

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コメント:
電車の乗車マナー低下が話題になっていますが、
逆ギレされる事を恐れて注意しない事も、それを助長していると思い、
電車内で通話をしている人を見かけたら、「次の駅で通話をやめなかったら注意する」と駅に着くたびに心に決めてます。

2006-12-10の説教
創世記13:12-18
「目を上げさせる主」
説教要旨:
ソドムの人々:排他的、攻撃的、道徳観が低い
現代の東京もソドム同様な無道徳な状況。
神様に感心が無い人も同様である。

投稿者 akios : 15:35 | コメント (0) | トラックバック

2006年12月 3日

お総菜

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コメント:
スーパーでお総菜の揚げ物を買うとき、おいしそうに見える天ぷらや唐揚げは、
衣や油で拡張されてることが多々あります。
売れ残って20%引きになっているものの方がおいしいという場合もあるのかもしれません。
お総菜は慎重に選びたい物です。※結婚以来一度も買ってません!念のため。

2006-12-03の説教
創世記13:1-11
「主の恵みを選ぶ」
説教要旨:
神様を近くに感じる(知る)のは自分の罪の赦しを祈るとき。
ロトは目に豊かにみえる土地を選んだ。アブラムは主にゆだねてロトに選択させた。

メモ:アブラムとロトは叔父と甥。ソドムとゴモラ:不道徳の代名詞。

投稿者 akios : 15:35 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月26日

何のために生きるか

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コメント:
紀元前の人々は、救世主が来るという預言を信じていました。
紀元後の私たちは、イエス様が降誕したという史実を信じる事ができます。どちらが難しいでしょうか。

2006-11-26の説教 ※秋の特伝聖書講演
第二コリント5:17
「私が新しくされる夢」
説教要旨:
ピリピ3:20 パウロの夢:再降
現代の私たちはどのようにパウロのような夢を抱くべきか。

一度実際に会っていると、再臨(再会)の約束を信じられる。
私たちは、既にこの世に来てくださったイエス様をよく知り、深く交わる事で再臨を信じられる。
イエス様との出会いの体験後、それまでの夢や目標はがらりと変わる。
ピリピ1:21 パウロの夢:地上の歩みを終えて天に上げられること。生きていても死んでもキリストと共にいる事。

私たちは、この世では主のために生きるべき。
自分の夢は何ですか。

投稿者 akios : 15:34 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月19日

愛しなさいという命令

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コメント:
人は自分に好意を持っている人のことを好きになる受動的な愛を持っています。
もちろん能動的に他者を愛する事ができれば良いのですが。

2006-11-19の説教
第一ヨハネ2:7-11
「新しい命令 - 愛すること -」
説教要旨:
愛には人を動かす力がある。
聖書は愛することを命令している。
ヨハネ13:34「互いに愛し合いなさい」
(旧約時代には律法を守らない人を裁いていた)
互いに愛し合う事がクリスチャンの使命。
愛は救いの証拠である。
私たちに植え付けられた愛(「神の種」第一ヨハネ3:9)
貢献と献身:日々の貢献ではどうにもならないとき献身が必要である。
与えられた愛が実るためには祈りが必要である。
愛されることを待つのではなく、愛しなさいと命じられている。

投稿者 akios : 15:33 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月12日

クリスチャンのイメージ

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コメント:
世の中のクリスチャンに対するイメージは、カトリックのシスターやミサが強すぎるのではないかと思います。
少なくとも自分は、映画に出てくるシスターとは逆の、薄汚れた人間です。
整列乗車で割り込みされるとめっちゃ腹立ちますが、その後、黙祷すると落ち着きます。
車で割り込み運転されるとめっちゃ腹立ちますが、その後、黙祷すると危険です。

2006-11-12の説教
創世記12:9:20
「信仰者の不信仰」
説教要旨:
アブラムは神様の命令に従い、約束の地に入ったが、飢饉だったので、エジプトに勝手に近づいた。
妻が美しかったので、自分の身を案じて妹と偽った。
偽る理由:族長だったので死んではまずい。ほんとに異母兄弟だった。

神様はアブラムの罪の為にパロの家に災害をもたらした。
罪を犯さないクリスチャンはいない。罪に気づくことが大切。

投稿者 akios : 15:33 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月 5日

耐えられない試練

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2006-11-05の説教
創世記12:4-8
「主の約束への応答」
説教要旨:
アブラムにとってハラン(父の家)を出て、カナン(私の示す地)に行くことは、
それほど大きな事ではなかった。主に信頼していたから。
「神様は困難な試練を与えられる」と人は考える。しかし神様は私たちが耐えられないような試練を負わせる事はない。
私たちの日々が神に受け入れられている。

12:7アブラムの子孫にカナンの地を与える。
主がアブラムにカナンの地を与えられたのは、主の御言葉を世に伝えて讃美する為。
神様が私たちに与えられる不都合は、私たちが神に信頼する心を持つため。

アブラムの応答
異教の地で祭壇を築いて祈りを捧げた。
私たちの応答
礼拝すること。

投稿者 akios : 15:32 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月29日

神様の目的

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コメント:
神様のなさることは、その時点で人の理解できる物ではないのかもしれません。
ただ着いていく、ただ召されるままに、という姿勢は正しいのかもしれません。

2006/10/29の説教
創世記12:1-3
「主は人を用いて」
説教要旨:
アブラムはどこに行くのかを知らないで出て行った。
→リスク、不利益を超えて主に従う事が信仰である。

主の約束:子孫の繁栄は現代まで続く
主の目的:アブラムを通して、全ての民を祝福するため。

投稿者 akios : 18:25 | コメント (0) | トラックバック

2006年1月 1日

元旦礼拝

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コメント
新年早々重いなぁと思いましたが、重くした(罪を犯した)のは自分たち人間なんです。
人ごとのように考えてしまいますが、去年の罪は、年を越えたくらいではリセットできません。
※リセットは神様に謝ることでしかできません。

2006/1/1の説教
説教箇所:ヨハネの黙示録「最初であり、最後である方」
説教要旨:
神は人に世界の管理を任されたが、人は無秩序に自分の利益を追求している。

神は人が破壊した世界の秩序の復旧と世界の完成の為にイエス様を地上に送られた。

イエス様の復活は、完成への道筋の一つ。

イエス様の再臨(世界の完成)を待ち望むべき。

投稿者 akios : 23:39 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月18日

待降節第4週

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コメント
聖書通読をしようとして、マタイから読み始めると、いきなり系図がつらつらと書いてあるので、
何でだろうと思ってました。(読み飛ばしてました(汗))

2005/12/18の説教
説教箇所:マタイ1:22-25「私たちと共におられる神」
説教要旨:
1:22 =預言者を通して言われたことが成就するため。たまたまできたのではなく、ご計画による。
※インマヌエル(神は私たちと共におられる)預言
バビロン捕囚以降のダビデの国の再建を、多くのユダヤ人が望んでいた。
ダビデの系図を示し、ダビデの子孫であることを伝えながらも、神の系図を示された。
神の系図には私達罪人が含まれる。これがインマヌエル預言。

ヨハネ1:11-14 「...ことば(神)は人となって、私たちの間に住まわれた。」=インマヌエル

神様は、自分が罪を犯すとき(=見られたくないと思うとき)も、どんなときでも共にいて下さる。
常に共におられる神様を救い主として、心の中に迎えるべき。

投稿者 akios : 23:55 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月11日

待降節第三週

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PICT4010.jpg
待降節第三週

コメント
ボーナス商戦とクリスマス商戦のセールが重なり、買い物に行かないと損した気分になりますが、
イエス様の誕生日を待ち望み、その意味をかみしめる期間です。
心を落ち着かせて、クリスマスの本当の意味をかみしめたいです。
と言いつつ、土曜日の朝は、新聞広告にかじりついてます。。。イカンイカン

2005/12/11の説教
説教箇所:マタイ1:18-21「私たちを罪から救う神」
説教要旨:
マリアから生まれた理由
1.マリアの信仰によって
2.ヨセフという「正しい人」が夫だったから
ヨセフは、婚約中の相手が不倫した場合は告訴することができたが、石打の刑により死に至る可能性があり、ヨセフはそうしなかった。

「ご自分の民をその罪から救って下さる。」
罪のない人はいない。どんな罪でも、この方を通して赦され、救って下さる。

投稿者 akios : 21:19 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月 7日

系図は読み飛ばさない...

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待降節第二週
20051204213750P1000001.jpg

コメント
マタイの福音書の冒頭に、系図が長々と書かれています。
適当に読み飛ばしてましたが、適当に読み飛ばしてよい箇所なんて無いんですね。

2005/12/4の説教
説教箇所:マタイ1:1-17「系図に名を記した神」
説教要旨:マタイの福音書の系図は、ユダヤ人的な考え(7の倍数が好き)により、意図的に省略して記されている。
ルカの系図とは一部相違がある。

系図を記す理由
1.イエス様が実在した事を示す為。
  AC70年頃からイエス様の実在を証言できる人が少なくなり、後生に伝えるために記した。
2.イエス様が罪の歴史の中に生まれたことを記す為。
  女性の名前を系図に意図的に出している。
  タマル:策略によって義理に父の子を産む。
  ラハブ、ルツ:元は偶像崇拝者
  ウリヤの妻:ダビデ王が、ウリヤを激戦地へ送り戦死させ、妻を奪った。
  「神に選ばれた民族」という意識を持っているユダヤ人に、罪にまみれた人間から生まれた人であることを示した。

私達は、自分には罪が無いと思いたい。しかし実際は罪にまみれた存在である。

投稿者 akios : 23:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月27日

こんな時どうする?- WWJD -

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コメント
”あべこうじ”というお笑い芸人が、「こんな時どうする」というコミカルな処世術ネタを披露しています。
※そういえば最近見ないなぁ。
困難な状況を例に挙げて、おもしろい対処法で笑いをとる。
ただ困難な状況で、「あべちゃんならこんな時どうするかなぁ?」なんて考えることはないです。
「イエス様ならどうするかなぁ?」と考えるべきですね。

2005/11/27の説教
説教箇所:ルカ22:49-53「暗闇が支配するとき」
説教要旨:イエス様は弟子が切り落とした大祭司のしもべマルコスの耳を癒された。
理由
1.耳がないという困難を案じられた。イエス様は自分がピンチの時にでも、
自分を捕らえようとしている相手の事を考えられた。

2.弟子達への配慮。傷害事件により世論の非難が弟子達に向かうのを事前に回避された。

暗闇=罪
光=イエス様
ピリピ2:15-16「...いのちの言葉を握って、世の光としてしっかり輝き...」
自分一人の光は小さい。その光を世に掲げることを求められている。
この小さな光を掲げるためには、イエス様ならどうするか(What Would Jesus Do)を考えて行動すべき。

投稿者 akios : 23:48 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月20日

人の心の脆弱性 ~心のセキュリティホール~

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「ここだけは譲れない」というものが誰にでもあると思います。
それが誰かへの愛情であったり信仰であったり、物質的な執着であったり。
ただ、人のそのような意志は、様々な要因であっさり崩れてしまうものなんですね。

2005/11/20の説教
説教箇所:ルカ22:47-48「罪によるねじれ」
説教要旨:イエス様を捕らえに来たユダと兵士と群衆に対して、弟子10人では多勢に無勢だったけれど、
弟子達はイエス様が人知を超えた対応を取ると思っていたから立ち向かった。
イエス様は裏切りによって捕らえられる事を預言していたのに弟子達が立ち向かおうとしたのはサタンの働きに因るのではないか。
※群衆も裏切り者である。為政者へ反抗することが恐かった。
イエス様への恐れは、群衆にもユダにもあった。

ユダの裏切りの理由
1.弟子の会計係をしていたが、着服によってお金が必要だった。
2.社会革命思想を持っていた。イエス様に対して革命を期待していたが、叶わなかった。

私達は信念を曲げてでも利益を優先しようとしてしまう。

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2005年11月13日

お祈りについて

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情報化社会によって、祈りの課題も国際化・大容量化・リアルタイム化されています。
その情報から選りすぐった祈りの課題を全て祈ったときには
達成感を感じてしまうのかも知れません。※そんな長時間祈ったこと無いっす。orz
身近な人の生死に直面したとき、ひたすらに一つの事に祈りを捧げます。
祈り終わっても、達成感ではなくて、神様に頼る気持ちが残ります。
常にあのひたすらさを持って祈るべきなんですね。


2005/11/13の説教
説教箇所:ルカ22:41-46「祈り-罪人を救うため」
説教要旨:
祈りの姿勢
 当時の祈りの姿勢は立って両手を天に向けた。イエス様がこのときひれ伏して祈られたのは重荷の大きさを表しているのでは。
祈りの姿勢はいろいろあるが、大切なのは外面ではなく内面的なもの。
祈りの内容
イエス様の祈りは短く簡潔だったけれど、1時間かかっている。
現代の祈りは、祈りの課題の羅列になって祈り終えた時に「責任を果たした」という達成感が残ってしまい、心が伴わない。
祈りは儀式ではなく神様との交流である。これにより心の平安が得られる。
十字架にかかる為に地上に来られたイエス様はこの怒りの杯が避けられない事は一番分かっていた。
それなのに、「とりのけて下さい」と祈ったのは、死や痛み、罪の重さが嫌だったのではない。
罪のある人が赦されて、罪のないイエス様が十字架につくという不条理が耐えられなかったのではないか。
その死よりも耐えられない事柄についても、「御心の通りに」と仰った。

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2005年11月 6日

誘惑への対処方法

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コメント
食前の祈りってどうも短くなってしまう。
っていうか、大抵一言(5秒フラット)。
食べ物を目の前にして、時には一口目を箸に乗せた状態で、食欲という誘惑に負けてしまってます。
飽食の日本では、1日3食は当たり前となって、食事を与えられた喜びが感じにくいというのは、
へりくつではなくて、言い訳じゃなくて、誘惑なんですね。

2005/11/6の説教
説教箇所:ルカ22:39-40「祈り-誘惑に陥らないため」
説教要旨:
聖書には誘惑に関する記述が多い。
誘惑とは、神様の御心から外れるようにするサタンによる誘い。
「いつものように...」:イエス様が祈りを大切にされたように、私達も日常的な祈りを大切にすべき。
「誘惑に陥らないように」:陥らないような祈りを捧げるべき。
祈りの中でも誘惑がある。1.思ってもいないこと。2.口先だけの常套句、定型句。3.考え事を始める。
心からの祈りを捧げ、その応答を耳を澄まして聞くべきである。

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2005年10月23日

ミケランジェロのピエタの比較を通して

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コメント
十字架の意味を知れば知るほど、ヘビーな気持ちになります。
それは自分に罪によってイエス様を十字架につけてしまったから。
罪の赦しを乞うことによって赦してもらう。でもまた罪を犯してしまう。。。

2005/10/23の説教
説教箇所:ルカ23:33-47「十字架・いのちの再生」(ミケランジェロのピエタ考察)
説教要旨:
イエス様の十字架を見て救われた人、信仰を告白した人
1.一緒に十字架にかかった罪人
2.百人隊長
3.アリマタヤのヨセフ(隠れキリシタンだったが、信仰がピラトに知れてでも埋葬したかった。)

ミケランジェロのピエタ3作品は24才、50才、70才の時に描かれている。
24才の時の作品は、1人でイエス様を抱えている。
50才の時の作品は、3人でイエス様を支えている。
70才の時の作品は、イエス様にマリアが背負われている。
イエス様の死の重さを表しているのでは。

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2005年10月16日

2005/10/16の説教箇所

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2005/10/16の説教
説教箇所:ルカ22:31-34「七転び八起きの信仰」
説教要旨:説教メモ不足ですごめんなさい。

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2005年10月12日

たのしいオペレッタ集 発売

たのしい聖書オペレッタ集が発売されました。※出版のお手伝いをしたので。

「たのしい聖書オペレッタ集」いのちのことば社出版
内容:
・はじめてのクリスマス
・帰ってきたジロー
・五つのパンと二匹の魚
・星の井戸
・エステル

内容:聖書のストーリーに沿ったオペレッタ作品集です。
教会のCSの集会で上演するのにピッタリな内容です。
クリスマス会などでの上演にどうぞ!

投稿者 akios : 15:33 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月 9日

2005/10/9の説教箇所

# この記事は、キリスト教の教会に行っている自分の日記です。
# 教会に行ったことのない方は、いろんな教会のホームページをブラウズされることをお勧めします。

2005/10/9の説教
説教箇所:ルカ22:28-30「キリストが与えるもの」
説教要旨:説教メモ不足で脱線部分しか覚えていません。ごめんなさい。
クリスチャンは報いを求めるべきか。
聖書に示されているのだから地上での報いより神様による報いを求めるべきではないか。

投稿者 akios : 23:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月 2日

謝罪される時の話

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自分は、地位・名誉・富・権力に魅力を感じないようにしながらもうらやましく思ってしまう人間です。
自分が謝るときにはぺこぺこするのに、自分に謝る必要がある人に対しては、「代わりに...」と、その立場を利用したくなります。
神様は、こんな自分の罪を謝罪と悔い改めのみで赦してくれる凄い方です。

2005/10/2の説教
説教箇所:ルカ22:24-27「偉くなりたい友へ」
説教要旨:赦すとは、自分を低くして、優位な立場を放棄する事であり、これがイエス様の弟子に求められている。
人間による赦しは、ささやかな優位性の放棄。
神様による赦しは、人間の罪の身代わりとなった上での圧倒的な優位性の放棄。

投稿者 akios : 23:49 | コメント (0) | トラックバック

2005年9月25日

赦せない人、赦す神

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「根に持つ:いつまでも恨みに思って忘れないでいる。」(goo国語辞典より)
謝罪や償いが行われたのに、本心では赦せない状態を揶揄する時に「根に持っている」と言われます。
その原因は様々ですが、大抵、1年もすれば忘れられるような他愛もないトラブルだと思います。
人対人の些細なトラブルですら許せないのに、神様に対する罪に関しては簡単に許してもらおうとしてしまいます。

2005/9/25の説教
説教箇所:ヨハネの手紙第一1:5-10「よい知らせ -ゆるし-」
説教要旨:人を赦すのは難しい。
神様が、一人子イエス様の命を私達の罪の赦しの代償にされたのは、赦すことの難しさを表している。
そんな困難を伴って赦されているのだから、いつでも罪が赦されるからといって、悔い改めを先延ばししてはいけない。

投稿者 akios : 23:23 | コメント (0) | トラックバック

2005年9月18日

自己吟味

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電車で携帯電話の着信音が鳴り続けると、「誰だよー」って思います。
まぁ、2ヶ月前の着信履歴がまだ残っているような着信の少ない自分の携帯が、
通勤時間帯に鳴ることはまずないのですが、
誰かの携帯が鳴ることで、自分がマナーモードにしていなかったことに気づくことはあります。
誰かの罪に気づいたとき、自分は同じ罪を犯しかねない存在であることを考えて、
自分自身を注意する気持ちを持ちたいものです。

2005/9/18の説教
説教箇所:ルカ22:21-23「まさか、私のことでは」
説教要旨:イエス様が「この中に私を裏切る者がいる」と仰ったのは、ユダへ悔い改めの機会を与えるとともに、「自分のことでは」と弟子達全員に自己吟味の機会を与えられた。
私たちも、他人事と捉えず、常に自己吟味を繰り返すべきである。

投稿者 akios : 23:09 | コメント (0) | トラックバック

2005年9月11日

罪の処方箋

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「氷点」(三浦綾子著)を読むと、罪意識にさいなまれながら生きている少女が描かれています。
罪意識というのは、大小はあれど誰でも持っています。
罪意識から癒されるためにはどうすれば良いのでしょうか。

2005/9/11の説教
説教箇所:ヨハネの手紙第一1:1-4「よいしらせ -交わり-」
説教要旨:私たちは罪依存症であり、罪を犯さずに日常生活を送ることは困難である。
クリスチャンとは、罪を犯さない人ではなく、罪を赦された罪人である。
罪からの癒しの為私たちは、教会での交わりと神様との交わりが必要である。

投稿者 akios : 23:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年9月 4日

2005/9/4の説教箇所

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2005/9/4の説教
説教箇所:ルカ22:14-20「最後の晩餐の意味」
説教要旨:(説教メモを取り忘れ、忘却の彼方に....)

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2005年8月28日

伝道は個人よりも集団で

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自分は10人以下の会社で仕事をしていますが、個人では請けられないような仕事も、
分業することにより請けられることがあります。
神様から受注した伝道という仕事は、もちろん個人でも請けられますが、
様々な能力を与えられた人が集まる教会で相談し分業して行う方が
より大きな成果を上げられるかもしれません。

2005/8/28の説教
説教箇所:詩篇126:1-6「神を証する共同体」
説教要旨:教会は、御言葉(神様の言葉=聖書)という種を、神様から与えられ、その種を蒔くことを期待されている。
種まきの一連の作業(奉仕)は、個人では困難が多いけれど、教会という集団になり行うことができる。

備考:
心に届くトラクトは、1,000枚中2~3枚。

投稿者 akios : 23:30 | コメント (0) | トラックバック

2005年8月21日

礼拝の目的

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クリスチャンホーム(親がクリスチャンの家庭)に育った自分にとって、
小さい頃の礼拝のイメージは、長い話をジッと耐える時間でした。
今でも睡眠不足の時は、「耐える」事が無いとは言い切れません。
もちろん忍耐力をつけることが礼拝の目的ではありません!
ただ、説教をまじめに聞いているだけなのも、目的では無いようです。

2005/8/21の説教
説教箇所:詩篇134:1-4「礼拝する共同体」
説教要旨:説教を聞くことが礼拝の目的ではなく、礼拝を通して全てを捧げ、日常生活全てを神様に向ける事が目的である。
教会は民の為に祈る群れであり、神の祝福を一身に受ける群れである。

備考:
「都上り」:どんな遠方でも神様を礼拝するために上京した。

投稿者 akios : 23:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年8月14日

一番心配してくる人

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コメント
自分の唯一の甥っ子(2才間近)は、母親が近くに居ないことが分かると、母親の名前を悲しげに連呼します。
自分を守ってくれる人がいないという孤独感・不安感がそうさせるのでしょうか。
守ってくれる人がいない時、子供でなくても、時折不安になり、孤独を感じます。
仕事の事、結婚相手、健康状態、老後など、誰が一番考えていてくれるのでしょうか。

2005/8/14の説教
説教箇所:詩篇121:1-8「あなたを守る方」
説教要旨:クリスチャンの敵は、神様をすぐそばに感じられない事による孤独感。
神様を信頼しないことは罪である。神様を信頼して、祈るべき。

投稿者 akios : 23:07 | コメント (0) | トラックバック

2005年8月10日

健全なGAMEをキリスト教徒が開発中!

キリスト教徒が健全なGAMEを作ろうと、奮闘しています。

■キリスト教ゲームが集結したカンファレンス(Yahoo!Japan News
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050810-00000007-wir-sci
■クリスチャンズ・ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス(Christian Game Developers Conference)
http://www.cgdc.org/

その中でも、下記の2本に熱い期待をしています。
The Rebel Planet
主人公がペナルティのワッキーに似ている事以外は評価大。

Timothy and Titus
英語だとかっこいいタイトルですが、「テモテとテトス」。んーなんかパッとしませんが、「ヒットポイント(生命力)や武器ポイントの代わりに、プレイヤーは伝道を遂行するための愛や希望、信仰心のポイントを収集する。」というのに惹かれました。

CG技術等ソフトウェアの進化と、PlayStation2などのハードウェアの進化は、GAMEの本質を見失わせ、新しい刺激のみでユーザの購買意欲を刺激する駄作を世間に多く送り出しました。
その結果、血が飛び散る残虐シーンや、幽霊の描写、性的な描写など、青少年の健全な育成を助けるにはほど遠いソフトが平然と売られています。※このようなソフトは対象年齢に制限をもうけている場合が多いです。

キリスト教徒によるカンファレンスとはいえ、企業活動として行っていることなので、もちろん営利目的でやっている事と思いますが、売上が健全な企業活動(社会貢献等)の為に用いられることを祈ります。

投稿者 akios : 22:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年7月31日

赦し赦され

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コメント
去年までの自分は、車を運転しているときに、強引な割り込みや危険な飛び出しに対して、
相手が気づいているにもかかわらず、怒りにまかせて長めのクラクションを鳴らしたり、
必要以上のハイビームを向けたりしてました。
自分が、割り込んだり飛び出したりしたときは
「すいませーん」とか言いながらハザード出して赦してもらうのに、
他人の行為となると、赦してもらった事を忘れて、怒りばかりが先行してました。
赦してもらうような行為はするべきではありませんが、自分が赦してもらったように、
当然の事として他人の事も赦すべきですね。

2005/7/31の説教
説教箇所:詩篇103:1-22「赦しの共同体」
説教要旨:
イエス様が教会について語られた聖書の記述は2カ所のみで、何れも罪の赦しについて語られた。
教会は、罪を赦された者の集まるところである。
罪を赦された者として、互いの罪も赦し合うべきである。

投稿者 akios : 23:52 | コメント (0) | トラックバック

2005年7月24日

精神的な共有

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コメント
日常生活を送る上で必要な物に関して満たされている日本では、
生活するために、隣人と何かを共有する必要はほとんどありません。
世界の貧困を無視すれば、物質的な共有はしなくても生きていけます。
しかし、精神的な共有(喜怒哀楽の中でも特に、悩みや痛みを理解し合う事)が出来なければ、
精神的に満たされず、孤独感によって死に至ることもあります。
心の共有(分かち合い)をするためには、どうすれば良いのでしょうか。

2005/7/24の説教
説教箇所:詩篇133:1-3「分かち合いの共同体」
説教要旨:精神的に一つの事を共有(分かち合う)ためには、不要なものと必要な物がある。
不要な物:自己中心、硬直化した制度主義(混乱を生む)
必要な物:自分の弱さを認めて訴える心、他者の弱さに気づく心

投稿者 akios : 23:33 | コメント (0) | トラックバック

2005年7月17日

嘘の積み重ね

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コメント
ひとつ嘘をつくと、それが嘘であることを悟られないように、
更にいくつもの嘘をつかなくてはならなくなるという経験は、多くの人が持っていると思います。
ひとつ目の嘘を、すぐに「ごめんなさい、うそでした」と謝ることで、
どれだけの嘘をつかずに済むか、考えてみて下さい。
人に謝る前に、まず神様に謝り、嘘という罪を許してもらうことで、
人に謝る事が困難に思えるときも、
そのチャンスを神様が与えてくれます。

2005/7/17の説教
説教箇所:詩篇32:1-11「告白の共同体」
説教要旨:忙しい時には身の回りの片づけをすることで、更に忙しくなる状況を回避できるように、
罪に汚れたときは、罪の告白をすることで、罪を重ねることを回避できる。
成熟したクリスチャンは告白を繰り返す。

投稿者 akios : 22:16 | コメント (0) | トラックバック

2005年7月10日

教会に集まる理由

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今週から7週に渡って教会について説教するとのことです。
昔、「教会に行かなくても信じてればいいのでは」と、考えていた時期があります。
教会に集まる理由は何でしょう。

2005/7/10の説教
説教箇所:詩篇145:1-21「祈りの共同体」
説教要旨:教会は祈りの共同体である。
教会が最初に行った行動は宣教だけれど、その根底には祈りがあった。

世間のお父さんが子供に求めるのは、交流。
神様との交流=祈りを神様はあわれみを持って聞いてくださる。
私達は祈るために教会に召されている。



キャラバン伝道派遣礼拝

今日は、過疎地の教会にキャラバン伝道に向かう青年(一応自分も含む)の派遣礼拝が夕方行われました。

司会:若い先生
説教:心は若い先生
2005/7/10の説教(夕礼拝)
説教箇所:ルカ22:19「分かち合う喜び」
説教要旨:
イエス様は最後の晩餐にて、「私の体です」と言って弟子達にパンを分け与えました。
イエス様がその体を捧げ私たちを救って下さる恵みを自分の恵みとして受けるだけでなく、
その恵みを、教会の仲間や遣わされた場所の人々と分かち合うことが喜びとなる。


説教後の賛美で「今こそキリストの愛にこたえて」を歌いました。
歌ってるだけで目頭が熱くなるので、愛唱歌にはできませんが、大好きな歌です。

今こそキリストの愛にこたえて 歌詞

1.わたしが 神の子とされた 罪人のわたしが
 無限の愛の大きさに ただ感謝をしよう
こんなわたしのためにさえ 命まで与えた
十字架の愛の大きさに ただ感謝をしよう
今こそ キリストの愛にこたえて
命をすべてを ささげよう
 
2.生きる自信を失った 迷い子のわたしが
生きる希望と喜びに 満たされてるなんて
何の力も無いけれど 何かをしてゆこう
こんな小さなものだけど 何かをささげよう
今こそ キリストの愛にこたえて
命をすべてを ささげよう

3.たった一度の人生を むだにしたくはない
力のかぎりキリストを 愛し続けよう
多くの友を救うため 福音をつげるため
日本の国を救うため 世界を変えるため
今こそ キリストの愛にこたえて
命をすべてを ささげよう

投稿者 akios : 17:13 | コメント (0) | トラックバック

2005年6月19日

お祈り

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現代の日本に生活する我々には、
今日もご飯が食べられることを、清潔な服が着れて、安全な家があることを、
心の底から感謝する(必要とする)機会がほとんどありません。
社会的に当たり前の環境でも、それは自分の力で成し得たものでしょうか。

2005/6/19の説教
説教箇所:ルカ21:37-38「よき働きの源泉」
説教要旨:
祈りとは「ひたすら魂を神に向ける」こと。
しかし現代では、祈りは習慣化・義務化している。ex.食前の祈り
この世に生きるものとしてこの世のために祈る必要がある。これは義務か?
イエス様がオリーブ山に祈りに行かれたのは、義務感からではない。

無力であることに目が開かれることにより、祈る必要を感じられる。
神様の助けを求めるため、神様との交わり(祈り)を持つ場所が必要。

投稿者 akios : 22:53 | コメント (0) | トラックバック

2005年6月12日

現在を生きる姿勢

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今日は、献金当番。前回は招待牧師による難易度の高い説教の時だったので、ちょー焦りましたが、
今回は大丈夫....と思いきや、召天者記念礼拝とのこと。びみょ~
召天者:神様のもとに召された人。神様への信仰を持って亡くなった人。

2005/6/12の説教
説教箇所:第一ペテロ1:3-5「神の救い~過去・現在・未来」<召天者記念礼拝>
説教要旨:
「救い」がほめたたえられるべき3つの理由
1.死者の中からよみがえらせてくださった。(過去)
2.新しく生きる望み持つようにしてくださった。(現在)
 人はゴール(望み)があるからがんばれる。
3.朽ちない資産を天に蓄えられる。(未来)

現在を生きる私たちは、望みを持ったものとしてふさわしく生きるべき。
これが召天者に対する姿勢である。

投稿者 akios : 20:36 | コメント (0) | トラックバック

2005年5月29日

聖書の翻訳活動を通して

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聖書の翻訳されていない国で聖書の翻訳と宣教をしている日本ウィクリフ聖書翻訳協会(Wycliffe Bible Translators in Japan)という組織にて、現在パプアニューギニアで奉仕(宣教師子弟のサポート)をされている方を招いて、メッセージを聞きました。


[ 聖書翻訳について ]
世界中では3000の言語が聖書翻訳未着手。
パプアニューギニアでの聖書翻訳活動について
国データ
人口:450万人
言語種類:約900言語(方言は含まない、文字のない言語を含む)
20-30年かけて1言語の聖書翻訳が完成する。
完成した聖書は、村の人が購入可能な値段で販売する。(無料ではその価値が伝わらないため)
※フリーペーパーは好きなところだけ読んで捨てますが、買った本はなかなか捨てられませんね。

2005/5/29の説教
説教箇所:使徒16:6-10
パウロ達はアジアへの宣教(宣教の大きな山場)を行おうとしていましたが、御霊によってそれを禁止されました。パウロは従順に従い、その結果、ヨーロッパへ広くキリスト教が広まる事となりました。
パウロは、示された道が、積極的・消極的に関わらず。御霊と聖書の言葉に従う姿勢を大切にしました。
御霊と聖書の言葉に従うために、ディボーションは大切。

投稿者 akios : 21:19 | コメント (0) | トラックバック

2005年5月22日

一人息子を生贄に

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アブラハムは神様からの厳しい試験(試練)に合格した人です。
試験問題「一人息子を生贄として捧げなさい」

2005/5/22の説教
説教箇所:創世記22:1-19
「試練を乗り越える信仰」(屋内礼拝 ※野外礼拝が同時刻に行われたため)
アブラハムはこの試練を簡単にパスしたのではなく、苦しんで乗り越えました。(アブラハムは100歳まで3回神様を疑っているそうです)

「神様と息子のどちらを取るか...」

アブラハムは当然のごとく神様を取るべきであることはわかっていました。しかし神様は、生贄として捧げる場所を移動に3日間かかる所(「モリヤの地」)に指定され、考える時間を与えました。
アブラハムは息子より神様を第一として、息子の命を絶とうとしました。
神様は、

「あなたは捧げた」

とアブラハムの決意(心)をみていらっしゃいました。
アブラハムは、自分を捧げて神様を礼拝することで試練を乗り越えました。

試練は私たちの生きる目的である「神様を礼拝すること」を忘れないよう、軌道修正するために
神様が与えられるものです。
「私たちを幸せにするために」申命記8:16

投稿者 akios : 12:47 | コメント (0) | トラックバック

2005年5月15日

5/15の説教

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先週に続いて忘却の彼方に...反省が足りない。いかんいかん。

2005/5/15の説教
説教箇所:ルカ21:29-33
「決して滅びないもの」

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2005年5月 8日

エルサレム侵攻

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2005/5/8の説教
説教箇所:ルカ21:20-28

イエス様が死後30年後に、ローマ軍がエルサレムに侵攻し、数十万人のユダヤ人が犠牲になりました。
イエス様は「都に入るな」と警告されていました。イエス様の言葉に従った人は助かりました。
神は苦難とともに救いの道も用意されます。「頭を上げ」て上から来る救いの道に従いましょう。

投稿者 akios : 21:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年5月 1日

5/1の説教

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すでに忘却の彼方に...すいません。

2005/5/1の説教
説教箇所:ルカ21:12-19
「この社会の証人として」

投稿者 akios : 12:42 | コメント (0) | トラックバック

2005年4月17日

献金は金額じゃない

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献金はいくらすれば良いのでしょうか。
収入の10分の1と教えられて、疑問すら感じていませんでした。

2005/4/17の説教
説教箇所:ルカ21:1-4
余りある財産の中の一部を捧げたお金持ちと、全財産と思われる数十円(レプタ銅貨2枚)を捧げた無職で一人暮らしの未亡人。金額ではお金持ちの方が圧倒的に高額な献金をしましたが、イエス様は未亡人の心を高く評価されました。

説教要旨:捧げた金額でも割合でもなく、「明日の必要は神様が満たしてくださる」という神様を信頼する心が大切。

投稿者 akios : 20:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年2月27日

生きる

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2005/2/27の説教
説教箇所:ルカ20:27-40

・結婚とは地上でのみ神様の定めたシステムです。
・復活の命には、地上での名声、健康は関係ありません。
・・・人に対して生きることは実にむなしいことです。私たちは、神様に対して、復活の希望を持って生きるべきです。

投稿者 akios : 04:32 | コメント (1) | トラックバック

献金と税金

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教会での献金と国家への税金についてのお話です。

イエス様をローマ国家の反逆者として訴える(結局、何も見つからないまま、民衆を扇動して十字架につける)材料を作るため、イエスを邪魔でしょうがない祭司長たちの使いが、税金を納めることは正しいことかどうかという質問をしました。
「間違っている」と言わせて訴えたかったのです。
しかしイエス様は、「カイザル(当時の銀貨の肖像となっていた人)のものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」と意地悪な質問を回避するだけではなく、現代の僕たちに対するメッセージにもなる回答をされました。

2005/2/27の説教
説教箇所:ルカ20:20-26

1. 税金(政治)と献金(神様・宗教)を明確に区別
2. 神様に従うということは、神様が作られたこの世の権威システムにも従うべき。
3. 間違っているなら警告せよ。

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2005年2月20日

礼拝って何?

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本日は献金当番。
しかも説教者は外部からの講師で話しの組み立てが読めないというピンチ!

今日の説教
説教箇所:詩篇95:1-11

教会の本質=礼拝、神様との人格的な対話
礼拝の本質=神の御声を聞く事。礼拝とは”ひれ伏す”事。
全能であり、私達を導いて下さる方(羊飼い)だから、ひれ伏して讃美と感謝を捧げる必要がある。
礼拝での神様の御声に従順に聞き従う者となりましょう。

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2005年2月13日

タイムリミット

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ココロココニアラズでした。ゴメンナサイ。

今日の説教
説教箇所:ルカ20:9-19

神様は、私たちが招きに答えるのを待っていて下さる。
タイムリミットは...再臨。

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2005年2月 6日

神様の権威

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今日の説教
説教箇所:ルカ20:1-8

イエス様の”失言”をネタに、神に対する冒涜罪で訴えたかった、祭司長、律法学者達。
しかしイエス様の”失言”は得られませんでした。

イエス様が何の権威で語られるのでしょうか。
祭司長、律法学者達は「神からの権威」と言わせたかったのでしょう。
イエス・キリストご自身が権威の出所です。
私たちの考える権威は相対的で、比較により権威を捉えます。
しかしながら神の権威は、絶対的です。

うーんむずかしぃ。

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2005年1月30日

教会ってなにをする場所?

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先日、結婚式専用の教会での結婚式に参加しました。
神父さんが式を行うのですが、すごい違和感を覚えました。

今日の説教
説教箇所:ルカ19:45-48

神様への真摯な祈り(=神様との会話)が行われるべき場所で、人間の都合(利権)が優先されていることに、イエス様は怒られた。
教会の使用・管理を任されているのだから利用方法には十分気をつける必要がある。

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2005年1月16日

石が叫びたくなるほど大切な事

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十字架につけられる直前に、エルサレム(地名)入りしたイエス様を、人々は讃美して迎えました。
弟子達も大声で讃美していたところ、パリサイ人(律法にうるさい人)が、讃美を止めさせるようイエス様に抗議しました。それに対してイエス様は「(彼らを黙らせても)石が叫ぶ」と仰いました。

今日の説教
説教箇所:ルカ19:37-40

抗議の理由:
1.メシア(救い主)に対してのみ許される讃美の言葉だった。
2.声が大きかった。(ローマの統治下なので、目立ちすぎ)
3.イエス様が急に目立つ行動を取った。(いままでは病人を治しても他言しないよう言うなど、隠密行動だった)

「石が叫ぶ」とは、讃美することの大切さを説いているのではないでしょうか。
たまたまその場に居合わせた人も、讃美していたと思われ、その中には数日後に「(イエス様を)十字架につけろ」と叫んだ人も含まれていた。それでも讃美することを許されたのは、神様を讃美することがいかに大切かを説いているのではないでしょうか。

讃美の手段は、讃美歌を歌うことはもちろん、様々な行動の上で可能です。
特に、お願いばかりになってしまうお祈りの中で、神様を讃美する事は難しいけれど重要です。

とのメッセージでした。

投稿者 akios : 14:10 | コメント (0) | トラックバック

2005年1月 9日

十字架に着く直前に乗った乗り物は馬じゃなくてロバ。

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なんでもできる神様の前には、自分はあまりにも無力でその存在価値すら見出せません。
神様は自分たちに何を望んでいらっしゃるのでしょうか。

2005/1/9の説教
説教箇所:ルカ19:28-36

イエス様が十字架につけられる直前にエルサレムに入られる際、ロバを調達してくるよう弟子たちに依頼しました。馬じゃなくてロバ?なんでだろー。当時、馬は軍事力として使われ、ロバは労働力として使われていたそうです。(士師47:10,20:1)
神様は、信仰も意思もないロバをその使命である労働力として、しっかりと用いられました。
僕たちは、自分に与えられている使命を果たすことが求められています。

僕たちに求められている使命は、主をほめたたえ讃美することであると、以前学びました。

投稿者 akios : 22:52 | コメント (0) | トラックバック

2005年1月 3日

新年礼拝

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今日の説教
説教箇所:詩篇11:1-7

歴史上の事実を述べている創世記、出エジプト、マタイ、マルコなどは、
覚えながらあるいは考えながら頭で読む事が多い。
詩篇は心で読むらしい。

暗い事の多い世の中で直ぐな人が立っていく為には、主により頼んで身を避けるといいそうです。

投稿者 akios : 21:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月26日

何を通して体を捧げるか

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今日の説教
説教箇所:ローマ12:1-2

パウロは「体を捧げなさい」と言っています。
この「捧げる」は、「礼拝」にかかっている。
奉仕や宣教などは、自分がしなくても代わりにやってくれる人がいるかもしれません。
しかし、あなたが礼拝を捧げることを代わりにやってくれる人はいない・できない。

投稿者 akios : 20:56 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月19日

クリスマスメッセージ


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今日の説教
説教箇所:ヨハネ3:16-18

人は愛に乾いている。
神は愛なり。
神の愛は受け入れる人がいて愛として完成する。

投稿者 akios : 20:40 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月12日

待降節第3週 僕等を救うために

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待降節の第3週に入りました。
教会の講壇のろうそくも3本になり、静かに、徐々に熱を上げてクリスマスを待ち望んでいるといった感じです。
先週は、「身分を赤ちゃんにまで下げられたイエス様の栄光」についての話しでしたが、何のためにイエス様は来られたのでしょうか。僕等の罪を罰するためでしょうか。

ズボンのチャックが全開の人を見ると、その人だけが気づくように「自分のチャックが開いていないか確認する振り」をしたことがあるかもしれません。「人の振り見て我が振り直せ」ではなく、「我が振り見せて人の振り直せ」といったところでしょうか。でも確認する振りをした段階で、自分もちょっと開いていたりします(汗。
イエス様は、罪で汚れた人間に、どのように対処されたのでしょうか。
「人の振り見て我が振り直せ」? いやいやイエス様は罪を犯してません。
「我が振り見せて人の振り直せ」? イエス様は罪を犯す振りもしてません。

今日の説教
説教箇所:ヨハネ3:17-18
人間は他人の悪いところはよく目につきます。
イエス様は僕等の悪いところ(=罪)を裁くために来られたのではなくて、自らを十字架で裁き、僕等の罪を背負い救うために来られました。

ズボンのチャックが開いている状態をそのまま身代わりとなって背負って下さった...って例が悪すぎるので、詳しくは聖書を読んで下さい!!

投稿者 akios : 23:34 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月 7日

クリスマスのトリビア 「クリスマスを祝う本当の意味」

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クリスマスは何の日かと聞かれて、一般的な答えは、「キリスト・イエスの誕生日」。
これでは、生まれたことをただ祝うだけの、天皇誕生日と変わらないのでは。
それだけの理由で、昔から変わらず世界中で祝われているのだろうか。

クリスマスは、神様のそばにいるべきイエス様が人としてこの世に来られた日。つまり、
クリスマスが昔から変わらず世界中で祝われている理由は、
イエス様の"この世での誕生日"をお祝いする以上に、神様のそばにいるべき全能のイエス様を、僕たちの為に、無力な赤ちゃんにまでしてこの世に送り込んで下さった神様の愛を感謝する日である。
(説教のサイドエピソードより)

今日の礼拝
説教箇所:ヨハネ3:16
「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく永遠の命を持つためである。」(引用:新改訳聖書)

現代では、大学の名前、給料、役職など、世間から高い評価を得て、上にのぼる事が良いこととして目標とされますが、イエス様は、全能のポジションを捨てて無力な状態でこの世に来ることを栄光とされました。

疑問点
「栄光」とは?

投稿者 akios : 03:48 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月28日

与えられた物を十分に活用してますか?

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今日の礼拝
説教箇所:ルカ19:11-27

今週も若年性痴呆症にかかっているようです...
イエス様が、クリスチャンに向けて話されたたとえ話です。
与えられた恵みを十分に生かす努力をしなさいと、仰っています。

自宅に帰って、同じ教会に行っている父親の無神経な奉仕について文句を言っていて思ったこと。
無神経でも、忙しくても、与えられた時間、与えられた体を十分に使っている父親(1ミナ→?ミナ)と
ただ座って聞いているだけの自分(1ミナ→1ミナ)には大きな違いがあるなぁと思いました。

参考説教1
参考説教2

投稿者 akios : 22:53 | コメント (0)

2004年11月21日

架空請求ならぬ過剰請求のザアカイ

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今日の礼拝
説教箇所:ルカ19:1-10

説教要旨が既に忘却の彼方にあるので、せめてザアカイのストーリーを...。

取税人(税金の過剰請求を行うため嫌われていた職種、金持ち)ザアカイが、時のヒーロー(救世主)イエス様を一目見ようと木に登っていた(チビだった)ところ、イエス様から名指しで、あなたの家に泊まりますって言われてビックリ。(ヨン様に「おうちに泊めてスムニダ」って言われたおばさんの何倍もビックリ&嬉しかったと思われまスムニダ。)
世間では嫌われ者で私腹の為の過剰請求も行っているこんな自分にもイエス様が救いの道を示して下さったので、ザアカイは改心して、財産の半分を貧しい人に、過剰請求は4倍にして返却すると誓った。

神様は、全てをお見通し(全知全能)で、僕らを見守り、救いの手をさしのべて下さる方です。

間違った解釈があるかもしれないので、納得いかない方は下記URLを見て下さい。
ザアカイ解説

投稿者 akios : 22:12 | コメント (0)

ほっとけない 世界のまずしさ